コロナ禍がようやく収まり!?外食・飲食制限がほぼなくなってきましたね。ぼくの周りでも制限解除を待ちわびたように飲み会がいろいろ開かれています。ぼくも今月は何度か飲み会に参加しました。
個人的にはコロナ禍はぜんぜん収まっていないような気もしてるよ。
感染者数も去年の今頃より多いし、死者も依然二桁中盤を記録して
るしね。病床が逼迫していないからなんだろうけど、死者が毎日そ
こそこ出ていることは重視する必要があると思うよね。
まあ、これは個人的感想・・・今回は、コロナ禍による規制が緩和
されたことにより、飲み会が多くなったことをテーマとして語りた
いと思うよ。
ただ、正直に言うと、コロナ前に思っていた飲み会の楽しみは感じなくなったと思います。コロナ前後による大きな変化・・・・ぼくにとっては、飲み会の重要性の変化ですよね。コロナ前はあれほど飲食店に通っていたのに、コロナ後は、行きたい気持ちがなくなってしまいました。
過去の自分の酒飲みのあゆみを振り返ると、コロナ禍は、酒飲み人生の大きな転換点とも言えます。そこで、今回は、これまでのぼくの酒飲み人生を振り返ってみようと思います。
毎日のように同僚と飲みにいった社会人初期・・・
ぼくの社会人生活はは東京でスタートしました。当時は、飲みにいくのが本当に楽しかったですね。町中華、地酒が充実している店、デートに使えるちょいおしゃれな店、高層ビルにある高級店、水餃子専門店、リーズナブルな寿司屋、タイ料理屋、場末の飲み屋・・・とにかく、店のバリュエーションが多い。また、それぞれに数も多い。好奇心旺盛な社会人1年目には眩しすぎましたね。
週に3回は飲みに行っていたと思います。予定がないときも、「一人で一杯」という店もありました。ぼくは、カウンターに座ってお店の人と話をするタイプではなく、新聞・雑誌などを見ながら一人で黙々と飲むタイプでしたね。
まさに黙食だったなあ。今から見ると、
コロナにも対応できるような飲み方だったな。
一方で、新人時代は、わいわいみんなと飲むのも楽しかったでしたね。だから、ぼくからも同僚を飲みに誘っていたりしましたし。
どれだけ酒が飲めるか、どれだけ壊れることができるか、深夜まで飲み翌朝出社・・・こんな醜態を武勇伝と勘違いしていた頃であり、自分を痛めつけていましたね。
終わってるよな。でも、当時は
深酒した翌日に、これを武勇伝の
ごとく話していた自分もいた。
周りも面白がって聞いてくれて
いた気がするし・・・今でもこの
感覚残っているよな。
古き良き思い出として残っていますし、当時付き合ってくれていた仲間と会う機会があれば、当時の飲み話に華が咲くのでしょうね。
思えば、昔は一人飲みが唯一の楽しみの時代もあった・・・
最初に就職した会社は3年ほどで辞めて、しばらくはバイト暮らし・・・そして、何とか再度就職したところでは、相当苦労しましたね。最初の職場では「仕事できない君」でした。そんなぼくに気をかけてくれる人もいてくれたことが唯一の救いでした。
でも、職場では上司にイビられ、先輩からはきつめのダメ出しのオンパレード・・・まともな感覚で職場へ出勤できませんでした。
ホント、闇の時代だったよな。
でも借金もたくさんあったし。
仕事から逃げることもできなかった。
ホントに辛かった・・・
そんな時に習慣化したのが、残業帰り(仕事ができない後ろめたさで自主的サービス残業ですが)のお気に入り町中華等での晩酌でした。この時間が好きでしたね。ウツな状態から解放される・・・という感覚ではなく、なんか、ウツ状態な自分を慰めている感じ、決してウツから解放されるわけではなく、なんか、同居している感覚というか・・・うまく表現できませんが、独特な感覚で一人飲みの時間を過ごしていました、キライじゃなかったですね。あの時間は。
よく使った店は、飲み会で使用される最後の〆のような店だったり、あまりお客さんが入らない町中華、ご近所の老舗の町中華など・・・いくつかありました。
こうして一人飲み習慣が始まりましたが、これをやる時は、だいたい病んでいる時期なんですよね。
店に入っての一人飲みは、お金に余裕がある時、つまり、
残業代が通常より多い時期になる。そう、忙しい時期なん
だよね。忙しい時は、だいたい厳しい状況で病んでるから、
ぼく。
自分が壊れないように守る最後の防波堤が、店での一人飲
みだったのかもしれないよ。
今は家飲みでオッケー!
今の会社に転職した最初の1~3年は本当に辛かった。だけど、少し仕事に慣れてきたこと、人事異動で職場が変わったことなどで、ぼくを取り巻く仕事環境は、少しずつストレスが軽減されるような環境となっていきました。
それに伴い、アフターファイブの時間も確保できるようになりました。一方で、残業が減るわけですから、給料がお安くなってしまいました。
そこで、積極的に始めたのが家飲みです。いままでも、寝る前の一杯ということで家での晩酌も良くやっていましたが、やっぱり、寝酒という部分が強かったかなと思います。
う~ん、確かにそうだね。それまで、
自炊の概念があんまりなかったもんね。
また、当時は夜型というのもある。
だから、一人で酒を飲み始めるのは、
全てをやり終えて寝る前って感じだった。
今思えば、体にめっちゃ悪いよな。
お金に余裕がないけど時間がいっぱいある状況が生まれました。店で飲むお金も心もとない状況ですから、家での一人飲みにシフトしていったのです。毎日、スーパーの総菜や安い刺身を買って、それを肴に飲んでいました。
最初は、発泡酒・・・でも高い、今では第三のビールです。そして、糖質も気になる・・・そうなると、焼酎に走ります。ただ、健康を気にして、甲類のお酒飲みということで、最安値の芋焼酎がぼくの主酒となりました。
肴も当初は、スーパーの総菜が中心でしたが、度々買っているとやっぱり高く感じるようになります。また、刺身もやっぱり高い。そこで、簡単な炒め物、焼き魚などを自分でするようになり、節約も意識するようになりました。
このように振り返ると、現在のぼくのお酒事情がこのころに形成されたことがわかります。
家での一人酒を覚えるのは良くないと思うよ・・・実は。
もう歯止めがなくなっちゃうからね。
今では、休日の朝飲みが楽しみで習慣化しちゃったよな。
今後の課題は、ストレスなく如何に減酒を進めるかだな!
おわりに
ぼくの酒飲み人生を振り返りました。一人飲みが定着したのは、ここ10年の話。これに加えて、コロナの襲来で外飲みが制限される中で、家飲みの経済性、気楽性にすっかり馴染んでしまい、友人とであっても外飲み会は本当におっくうになりました。
そうなんです・・・もう・・・飲みに行かなくても普通な感覚になったよな!って感覚ですね。セミリタイアを目指す身としては悪いことではないと思っています。外飲みは何といってもお金がかかりますからね。
コメント