突如飛び込んできたソフトバンク和田毅投手の西武移籍話。本人も寝耳に水だろうな。「山川穂高のトラブルが、まさか自分に関わってくるなんて・・・」忸怩たる思いだろう。
和田毅42歳。福岡ダイエーホークスに入団し、メジャーを挟みながら、古巣のソフトバンクホークスで有終の美を飾る・・・はずだった。青天の霹靂だろう。本人のモチベーションが心配である。
和田投手は、松坂世代の最後の現役選手である。ただ、和田は当初、松坂世代の主軸ではなかったはずだ。島根県浜田高校出身。当時の島根県は、全国でも最弱の県の一つであり、地味だった。そんな中でも、和田は実績を積み重ね、名門早稲田大学へ進学しエースとして活躍してプロ入りした選手だ。
そんな彼について記憶に残る甲子園の試合がある。
1997年夏の甲子園。浜田高校vs秋田商業
浜田高校先攻、秋田商業後攻、3対1で浜田高校がリードした状態で9回裏を迎えた。
マウンドには、2年生エース和田。先頭バッターから2連続ヒットがでて、ノーアウト1,2塁。2点を追いかける秋田商業は、2塁・3塁を目論み当然送りバント、ピッチャー前に転がった。処理する和田、残念ながら1塁へ悪送球。処理にもたつく浜田高校、さらなる悪送球も重なり、終わってみれば、走者一掃、バントをした打者は3塁へ。
試合は、ものの1分で3対3の同点。しかも、ノーアウト3塁で一気に秋田商業ペースとなった。犠牲フライ、スクイズでゲームが決まってしまう。和田は満塁策を選択。ノーアウト満塁となった。迎えるバッターは、秋田商業エースの石川雅規。和田は、ストライクが入らず、結局押し出しファーボールでゲームセット。
だれもが浜田高校勝利と思って迎えた9回裏。その5分後には秋田商業が勝っていた。
ぼくはこの試合をよく覚えている。あの島根県の高校が、全国で通用することに。そして、あと一歩で勝利というところでの逆転負け。マウンドで呆然とする和田の姿に感動した。和田という存在を認識したのはこれが最初である。
ちなみに、相手方のエース石川雅規は、現在もヤクルトで現役を続けている43歳。この試合は、今にして思えば、非常にハイレベルな試合だったことに気づく。
その翌年の甲子園。主役は、松坂大輔。和田率いる浜田高校も甲子園に出場し、たしかベスト8まで進んだと記憶している。ゴールド聖闘士揃いの松坂世代では、1翼を担えるかどうかの存在だっただろう。
あれから、25年が経つ。突如飛び込んだ移籍話にふと当時のことを思い出した。
(このあとニュース見たら、和田の移籍はなくなったみたいね。甲斐野選手が西武に移籍することになった模様)
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