前回は、自分の過去の仕事との向き合い方を振り返り、仕事との距離感が近すぎて、結果、余裕もなくなったという結論を得ました。
モンスター職員としっかり付き合うわ、挙句の果てに
自らモンスターになるわ・・・まさに社畜なのかなね
・・・というよりも、これぞワーカホリックなんだなあ。。。
今回は、仕事とどのように距離を置くのか?ここでは、精神的側面から考えていきたいと思います。精神的に仕事と距離を置くことが出来れば、心に余裕が生まれます・・・これが、実は健全なメンタル維持の秘訣のような気も・・・最近ではしてますね。
➀仕事の何が自分を苦しめるのか要因を見つけて、②どのように対処するのか?③その結果、どのような境地で仕事をするのが良いのか?これらの点をまとめていきます。
要は、①仕事が重たくなる原因、②重たくなる仕事への対策、
③今後の仕事との向き合い方、ということだね。
これが出来れば、ぼくなりに楽になると思う。
仕事が重たくなる原因
責任の重さでしょうかね・・・原因は。お金を貰って働くからには、大なり小なり責任が付いて回ります。この責任感からプレッシャーが生じます。このプレッシャーがストレスになり、ぼくを苦しめているんだと考えています。
遊んでいる時や、一人でいる時はプレッシャーは感じません。ただ、遊びでも趣味でも、複数人でいる時にその場を仕切る役回りになると、そこに責任が生まれます。ぼくなんか、こういった場面になると、急にプレッシャーを感じてしまいストレスが生まれます。とたんにやっていることが面白くなくなります。
責任が生まれない生き方。これ、
突き詰めると一人で生きること。
また、プレッシャーを感じない相手と
生きること。肩の凝らない相手と生きる
こととも言える・・・
徹頭徹尾、一人でっていうのも寂しいからね。
ストレスを生み出すのは、プレッシャー。そして、プレッシャーを生み出すのは、責任なんだと思うのです。対策は簡単です。そう、「責任」を全く感じないようにすればよいのです・・・理屈では。
重たくなる仕事への対策
昔、植木等が演じていた無責任男!これだと思いましたね(見たことないけど・・・)。ようは、無責任に行こう!そういう風に思いました。
ただ・・・これには前提があると思います。あくまで感覚的・主観的ではありますが、ぼくは仕事との距離が近すぎました。無責任を意識することで、自分の生活の中で、仕事への意識を相対化してやろうと思っています。
文字にすると当たり前ですが、「ぼくの人生で絶対的に大事なのは自分の生活!仕事ではない!」・・・これがすべてですよね。
でも、実際はどうか?仕事が第一になっていたのではないでしょうか?仕事から帰ってきたプライベート時間、休日、仕事のことを考えて憂鬱になっていたのではないでしょうか?仕事が第一になってしまっている状況といえます。こんな状況にある人にとっては、「仕事に対して無責任でいくぞ!」と宣言して、初めて健全な生活が送れるような気がするのです。
今後の仕事の向き合い方
責任の大きさは客観的な指標で図れるとは思います。一方で、その責任を受ける当事者のプレッシャーは当事者により異なります。
仕事ができる人も、いつも明るく仕事に向き合えている人も、ずぼらだけど仕事に行くことを苦にしていない人も、みんな責任に対する耐性が強いのだと思います。これは、素晴らしい能力と言えると思います。
いますよね~。毎日、上司に
怒られても何食わぬ顔で過ごせる人、
ひるまず上司に報告できる人。みんな
強い人だよね。
一般的に、上司や重役は悪口を言われるものです。場合によっては無能扱いもされます。ただ、彼らは重い責任を担って仕事をやっていることを考えてみる必要があります。自分がそのポジションにたったらどうだろうか?と考えてみる必要がある・・・ぼくは、とてつもないプレッシャーを感じるだろうなと思います。ぼくにはできない、堪えられない・・・そう思います。
もし、そんな上司が仕事を楽しそうにやっているのであれば、やはり責任に強いのか、仕事との向き合い方がうまいのだと思います。すごいことなのだと思います。
そうそう。嫌いで無神経な上司でも
楽しそうに仕事できているのであれば、
それってやっぱりすごいことだよね。
上司の仕事の向き合い方については、
ある意味、学ぶ必要があるのかもしれない。
たぶんストイックではないと思うよ。
偉人以外はね。
だからこそ、僕みたいな仕事との距離感が近すぎる人は、「仕事に対して無責任に行こう」、「絶対残業なんかしない」、「仕事が失敗しても会社の責任」と本気で思って、日々過ごすのがちょうどよいと思うのです。良い意味で適当になれます。この適当になれる。これが大事ではないでしょうか。僕みたいな感覚の人は、得てして万事悩みすぎて、周りを気にしすぎて、優柔不断となり、思った以上に仕事が進みません。
仕事なんて適当でいいのです。とにかくこなす、指摘されたら直す。へんなこだわりは持たないことです(程度によりますが)。とにかく、前に進むのです。
まあ、結果として、上司はそっちのほうが安心しますよね。状況が見えるから。自分も楽になりますよ。日々、仕事が進んでいるのがわかるから。
優柔不断で動けない。これって、肯定的な言い方
をすると完璧主義!で、完璧主義の結果、行動が
遅くなるのであれば、完璧主義は自他ともに悪
なんだよね。だからこそ、完璧主義者こそ、適当
という意識も必要なのかもね。
仕事に無責任になることで、いい加減になることで、適当になることで、仕事が進むようになるのです。
なぜ、いつも家で憂鬱になるのか?休日も仕事のことで悩んでしまうのか?それって、仕事がうまくいっていないからですよね。仕事が遅れてしまっているからですよね。ぼくはそうです。仕事に対して無責任になることで、結果としてこれらも解消されるのではないでしょうか。仕事に無責任になる!これが、ぼくと仕事との距離感を適正にする方法なのだと思うのです。
おわりに
仕事に対して無責任になろう!といい加減な結論となりました。でも、仕事に悩んでいる人、ぼくもそうですが、真面目すぎるので、それぐらいが丁度良いのだと思います。
近すぎる仕事と距離を置く、すなわち、ワーカホリックからの脱却・・・植木等が演じたように無責任に生きる事こそが、案外、自分の身を守ることにつながり、人生が好転するきっかけになるかもしれません。
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